無償ということ (生後38日目)

公開日:  最終更新日:2012/07/17

こんにちは、ちょーさんのパパスです。

今晩も、ちょーさんはなかなか寝ついてくれません。

1時間おきくらいに起きてはミルクをねだり…
をくり返しているので、パパス&ママスも結構こたえますたらーっ (汗)

といってもぼくは1回寝つくとけとばされても起きないタイプなので、
ぼくが寝ている間はちょーさんの世話をママスにまかせっきりです眠い (睡眠)

あと数カ月もしたら、ぼくは専業パパスになるかもなので、
そうなったらちょーさんは一晩中なきつづけて、
ミルクにもありつけず、
空腹と孤独という一連の修業を克服して、
なにかの悟りを開いてしまうんじゃないかと心配です。

パパスは、今から赤ちゃんの声に反応して起きる訓練をして、
母性本能ならぬ父性本能を開花させなければ!
と思い、

母性本能に関係しているらしい女性ホルモンをとってやれと、
女性ホルモンを多く含むといわれる大豆イソフラボンをちょっと食べてみましたが、
すね毛が薄くなってきたのであわててやめましたあせあせ (飛び散る汗)

前置きはこれくらいにして、
最近よく思うのは、「無償の愛情」とかいう言葉の、
「無償」って、ほんとに畏れ多いものだな、ということなんです。

ちょーさんと接していると、
自分で言ってしまうのもカッコ悪いのですが、
オレは今、「無償の思い」でこの子を見ているんだと思うんです。

特に何も見返りを求めるわけでもなく、恨みの気持もない。
自分の子だから、
そんなにビジュアルがよくはなくとも、
(そんなに捨てたものでもないですが)
世話をしています。

そして、自分たちの両親が、
自分たちに「無償の想い」を向けつづけてくれたからこそ、
ぼくらは自由に、やりたいことをやれているんだなと痛感します。

普通ならば、人間が文化的になにかやろうとか、
趣味じみたことをやりたいようにやろうとかする場合には、
お金をはらうなりなんなり、
「無償」ではできないというのが当たり前なんです。

でも若いぼくらは、ここまでできてしまっている。
両親の「無償の」想いを背景にして、
ここまでくることができ、
そのかわりに何かを差し出せともいわれないでいる。

このことは、
本当に畏れ多く、
感謝してもしきれない、
そんな対象が自分へ向けられた「無償」ということなんだと思います。

そう考えると、
赤ちゃんがなんで泣いているのかわからないからイライラするとか、
そういう育児初期の心配ごとに対しても、
ちょっと余裕をもってあたれるのでは?
と、パパスは考えたのですグッド (上向き矢印)

ぼくらは日常生活のなかで、
なかなか損得勘定ぬきにはくらせません。

それでいて、育児という体験は、
「無償の想いを向ける」ということの意味を感じさせてくれる、
とても貴重なものなのかもしれません。

そして、かつて両親からもらった(いまもですがあせあせ (飛び散る汗) )想いを、
大局的にではあれ、
お返しできるよい機会が、育児というものなのかもしれませんねひらめき

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