ふるさと (生後53日目)

公開日:  最終更新日:2012/07/17

こんにちは、ちょーさんのパパスです。

「ふるさと」について、考えることがあります。

先日パパスの故郷に帰ったとき、
ちょーさんのじいじ&ばあば、
その他のみんなと久しぶりに会って、
みんなでご飯をたべたり、お宮参りをしたりしました。

これまでも幾度となく「帰郷」を経験したけれど、
今回は結婚して子供をさずかってということもあってか、
それまでの「帰郷」とは比較にならないくらいに、
あたたかい空気をパパスは味わうことができました。

そこに住む人たちだけではなく、
山や海の感じ、
空気の匂い、見慣れた街並みなど、
多少の変化はあってもそこは間違いなくパパスの
「ふるさと」でした。

そこで思ったのは、
ちょーさんの「ふるさと」は、どこなんだろう?
ということなんです。

単純に生まれた場所をその人間の「ふるさと」とするならば、
話はなんにもありません。

でも、
生まれた場所=その人間のふるさと
ということにはならないと、そう思ったのです。

パパスは18になるまで、ふるさとに住んでいました。
生まれてから、18になるまでずっとです。
物心がついた時には、当たり前のようにその街があり、
何の疑いもなくその街への帰属意識を育んでいきました。

幼いころからふるさとの一貫した空気に包まれ、
また幼いなりにふるさとへのアクションを積み重ねた、
そんな状態が継続していたからこそ、
大人になってからの里帰りのときの、
「あたたかさ」があるんだと思います。

ちょーさんにとっての「ふるさと」は、
もう始まっているんだ、
そう気づかされたと同時に、
ちょーさんの「ふるさと」を、
とぎれとぎれの断片的なものにはしたくないと思ったのです。

決して、引越しの数が多いひとを責めようとかいう気持ちはありません。
生きている以上は、不可抗力のままに住むところを
変えなくてはならないことは当然あるでしょう。
第二、第三の故郷という言葉があるように、
それは時間やタイミングによって、
どうにでもなるものなのかもしれません。

ただ、
ちょーさんにとっての「ふるさと」がつくられるにあたって、
生まれて、もの心がついて、それが成長していく課程の、
少なくとも小学校高学年ころまでの
安定して継続する住みかは、
とても重大な影響力をもっているんじゃないかと思うのです。

ちょーさんが幼い時期にできていく、
ちょーさんにとってのふるさとをがちっと決めてやりたい。
ちょーさんが大人になってから感じる「ふるさと」の空気感を、
ちゃんと蓄積できるようにしてやりたい。

そのためには家を建てたり、
その前に家計をもっと安定させたり、
パパスとママスがやるべきことがたくさんあるんだと
また多少の「焦り」をもってでも、
それを考えるべき時期が
もうすでに始まっているんだと感じずにはいられないのです。

ちょーさんにとっての「ふるさと」。
ちょーさんが「ふるさと」へ抱く想い。
その質やかがやきのはじまりを決めるのは、
まぎれもない自分たち親なのだと、
パパスは少し焦っていますあせあせ (飛び散る汗)

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