家族写真 (生後103日目)
こんにちは、
街頭のティッシュ配りのおねえさんに、
なかなかティッシュをもらえない
ちょーさんのパパスです。
ちょーさんの100日祝いの写真を撮ってもらいに、
うちの近くのスタジオにでかけました。
100日ちょうどの日は(12日)、
日曜ということもあってか予約がいっぱいだったので、
一日おくれでいってきました。
ちょーさんはいろんな衣装をきさせてもらったのですが、
なかでも店員さんオススメの衣装をきたちょーさんに、
パパス&ママスともども、
お腹がいたくなるくらい笑いころげてしまったのですが、
その模様は4コマ漫画にゆずるとして、
家族写真の話です。
例によって、
親子3人で家族写真をとったのですが、
何枚とっても、
なんだかしっくりこなかったのです。
結局まあこれでいいかという一枚に落ちついたのですが、
ぼくらがもっている「家族写真」のイメージというと、
写真屋にかざってある綺麗な写真というよりは、
なんというか、
モノクロであれカラーであれ、
その家族の息づかいや、
歴史なんかを、胸にぐっと感じてしまうような、
そんな感じのものなんです。
ところが、
ぼくら一家の家族写真は、
ひとことでいうと、
「若い」んです。
実年齢や見た目の「若さ」ではなく、
たとえば歴史ドラマの美術さんにたのんで、
写真に経年加工をしてもらってもごまかすことのできない、
そんな「若さ」を感じてしまいます。
それはたぶん、
ぼくら一家自身がすごした時間が短いのと、
写真を見るパパスやママスに、
「自分たちで、この家庭をつくってきたんだ」という、
「実感」が薄いからだと、
そう思います。
何年かのちに、
写真を見て胸にぐっとこなければ、
それはもう単純に夫婦が童顔だったという話になりそうですが、
すくなくとも親であるぼくらと一緒に過ごしたちょーさんは、
パパスが自分の実家で昔の写真をみて思うのと同じように、
「実感」をもって見るはず。
心地いい実感であればよいのですが、
こればっかりはどうなるかわからないので、
光陰矢のごとく過ぎていく今を、
大切にしてすごせたらと、
まさに、そう実感しています。
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