君を忘れない (生後518日目)
こんにちは、
ちょーさんのパパスです。
今日はマンガはお休みします。
今日は、残念なできごとがありました。
ぼくが小学4年の時から飼っていた犬が、
死にました。
4コマに登場しているチワワとは別の、
室外で飼っていた雑種のメス犬です。
大学に進学する時に実家を離れたので、
もう長らく一緒に暮らしてはいなかったのですが、
一緒にいたころは、
散歩はもちろん、
野球をしていたぼくのランニングに付き合ってもらったり、
近所の山に登ったりと、
思い返すとほんとうにいろいろなところへ行きました。
もう人間でいうと80歳を超える年齢で、
年末年始に帰省した時にはすでに、
まっすぐ歩けず、
目もちゃんと見えていない様子で、
なによりぼくのことが分かっていないようでした。
彼女の17年の生涯の半分しか一緒にいなかったぼくには、
彼女の死について何を語っても、
現実味のないことしか言えないだろうし、
ほとんどが嘘っぱちのように思えてしまいます。
しかし、
ほんとうに勝手なのですが、
10代のぼくたち兄弟の相手をずっとしてくれた、
ちょっとドジだったけども優しい目をしていた彼女に、
どうもありがとうと、
それだけは言いたいのです。
最期は、
普段の外ではなく、
家の中の玄関で目を閉じたそうです。
ぼくの父と母と、
17年間ずっといっしょだった彼女は、
きっと幸せだったと、
ぼくには遠くから願うことしかできません。
死というものは、
本人には持ちえないものです。
死んだその時から、
死は一緒にいた人のものになります。
物理的にはもちろんですが、
彼女の死は、
彼女の自意識には関与できず、
一緒にいた人の、
心の中に残っていくものです。
ちょーさんが生まれてから、
生の誕生というものに立ち会ったからか、
ぼくは死についてそれまで以上に考えるようになりました。
実はぼくの祖母は、
ちょーさんが生まれる時を目の前にして、
亡くなりました。
ちょーさんを、
ひと目だけでも合わせたかった、
たった一度でいいから、抱いてもらいたかった、
そう願っても、
もうどうすることもできません。
ある人物の死に際し、
人はお墓をつくり、花を添え、
何度もそこへ足を運びます。
その人の知りえないところで、
残された人たちが、
その人の死を扱うのです。
生きているものにとって、
死はおおよそ恐ろしいもので、
自分がどうなるのか、
どこへいってしまうのか、
ぼくはいつも考える途中で怖くなってやめてしまいます。
でも、これだけは確かなことです。
親しかった人の心に、
深い悲しみをのこして、
物語の続きを託すのでしょう。
今日死んだ彼女も同じです。
今ぼくは、
ただ深い悲哀の感情を、
彼女の死とともに、持っているだけです。
春には、
ちょーさんを連れて、
彼女の墓参りをしようと思っています。
わんちゃんのご冥福、心よりお祈り申し上げます。我が家も雑種のメスわんこを飼っており、10歳になります。1ヶ月ほど前、突然下半身が麻痺し、歩けなくなりました。今は鍼治療で普通に歩けるまでに回復しました。わんこというのは本当に賢い生き物だと思います。異国での生活でわんこに何度も励まされています。また義父も息子(初孫)が生まれる数ヶ月前、この世を去りました。命とはどこから来てどこに行くのか…わかりませんが生と死は決して分離したものではないと思います。きっとちょーさん一家を今も暖かく見守ってくれていると思います。