ちょーさん、空気をよむ (生後77日目)
こんにちは、ちょーさんのパパスです。
毎日父親として、
あたまの中にすべて残しておきたいのに、
とても早すぎて、多すぎて追いつかない、
そんなちょーさんの成長のスピードと迫力に、
圧倒されている毎日です。
今日は、
そんな中から「これは」というものをひとつ。
ここ2週間ほど、
ちょーさんは縦抱きにして、
肌をぴったりとくっつけていないと
泣いてしまうようになっていました。
しかし近頃、
ミルクものんで、オムツもかえて、
ごきげんな状態のとき、
仰向けにねかせたちょーさんの横に、
パパスが寝ころんでいると、
しばらくその状態でごきげんが続くのです。
時間がたつと、
やはりしびれを切らしてぐずりだすのですが、
この、
ママスにもパパスにもだっこしてもらわないでも、
「しばらくはちょーさんのカラダひとつでごきげん」
ができるようになったのは、
実はすごい進歩なんじゃないかと思うのです。
物理的な接触による安心感ではなく、
「そばに誰かがいてくれる」という、
「空気」をちょーさんは感じられるようになったのだと思うんです。
パパスのこの仮説がほんとうならば、
この「空気」を感じる能力というのは、
とても原始的な、初歩的なちからでありながら、
数え切れない「モノ」に欲求解消のベクトルをむけがちな
おとなの世界と比べても極めてハイレベルな、
「しあわせを感じる能力」といえるのではないでしょうか。
モノを認識するよりも、
言葉を理解するよりも
もっと前に、
赤ちゃんは「空気」を感じることができるのかもしれません。
そして、
「空気」によってしあわせを感じるという能力は、
成長するにしたがって、
いろんな要素に邪魔をされ、
色あせていきやすいのかもしれません。
パパスも、
日ごろからあれがほしいこれがほしいと、
いやらしい物欲をけっこうもちあわせていますが、
ちょーさんが生後2カ月ちょっとでみせてくれた、
「ひとの肌でしあわせを感じるちから」と、
「そこに誰かがいてくれることでしあわせを感じるちから」の、
このふたつの能力は、
人生のはじまりに覚えるのにわすれがちで、
人生のはじまりに覚えるのにむずかしい、
そんな逆説的だけどもすごく尊いものなのではないかなと、
考えさせられます。
離れるとすぐに泣くようになったので、
「後追い」がはじまったと勘違いしていたのかもしれません。
ほんとうは、
あたたかい体温を感じられないという「不安」であって、
それに次いでの、
今回のそばにだれかがいない空気という「不安」なのかもしれない。
このふたつは極めて「直観的」であって、
はっきりとした感情からくる「寂しさ」ではないと思うのです。
とまあそう考えると、
「寂しさ」を感じられるようになって、
はじめて後追いがはじまるのだなあということになるのですが、
そうだとすると後追いは、
相当なまなましくて人間くさいんだろうなあ。
ちょーさんのほんとうの後追い、覚悟しておきます
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