じいちゃん、ありがとう。

公開日: 

おひさしぶりです。
書斎の時計が2分、
クルマの時計が4分、
気が付けば進んでいたちょーさんのパパスです。

ここ一週間、
ブログの更新をおやすみしていました。
というのも、
兵庫のわたくしの実家ほうで、
ちょーさんのひいじいじ、
つまりわたくしのじいちゃんが亡くなり、
帰省しておりました。

じいちゃんの家とわたくしの実家とは、
歩いて5分ほどの距離で、
幼いころから何度となく行き来していました。

88歳で亡くなったのですが、
じいちゃんは昔から隠れて飲むほどお酒が好きで、
「酔っぱらって倒れている」と、
よく家に電話がかかってきたのを覚えています。

そんなじいちゃんも、
6年ほど前からぱったりとお酒を飲まなくなったそうで、
その理由はわかりませんが、
お酒をやめて、
とてもしずかに、
毎日を過ごしていたという印象があります。

とは言っても、
わたくしが中学生になったころから、
勉強に部活動にといそがしくなり、
また、今考えると、
そういう年頃だったのかなぁとも思うのですが、
そのあたり以降のじいちゃんとの思い出といえば、
たまに家にいって、
ちょっとしゃべる、
それくらいしかありません。

最近では痴呆もはじまっていたようで、
ひさしぶりに会っても、
ほんとうにひとことあいさつを交わすくらいでした。

でも、
葬儀場でじいちゃんの棺を抱えたとき、
小さかったころの記憶が、
次々とよみがえってきました。

家に行くたびに、
古いブリキ缶から米菓子を出してくれたこと。
切り出した木をつかって一緒に将棋盤を作り、
あったかい縁側で将棋をさしてもらったこと。
それぞれ自転車にまたがって、
近くの木材港へ行き、
サヨリをたくさん釣ったこと。

そのときじいちゃんが何を話していたのか、
不思議なくらいになんにも覚えてはいないのですが、
じいちゃんといっしょにいた時間がわたくしにあったこと、
そしてその時間が、
とてもおだやかだったことをよく覚えています。


そしてこれは、
わたくしには想像することしかできないのですが、
戦争の時代を生きたじいちゃんは、
遠く岩手のほうへ出兵し、
外地へいく直前に終戦をむかえたそうです。
その後は兵庫にもどり、
ふたりの息子を養うために、
高度経済成長の真っただ中で働いたそうです。

こんなことを、
亡くなった人に対して書くのはどうかとも思いますが、
酒をあおり、
できた人間だったとは言えないのかもしれないじいちゃん。

でも、
こうやって最期のときをむかえて、
多くのひとに涙を流させて、
それは間違いなく、
立派なひとりの男であり、父親であったんだと、
わたくしの父と、おじ、
つまりじいちゃんのふたりの息子の顔を見て、
そう思いました。


瀬戸内海に面する実家ちかくの山では、
はや梅の花が咲こうとしています。
じいちゃんには、
もうこの世の梅の花を見ることはできないのかもしれませんが、
きれいかどうかはわからないけれど、
けっして枯れない花になって、
わたくしの心の中に残っています。


じいちゃん、どうもありがとう。
長い間、おつかれさまでした。


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