本屋の育児コーナー (生後83日目)

公開日:  最終更新日:2012/07/17

こんにちは、
スーパーのタイムセールで霜降りの肉と勘違いして
成形肉を買ってしまい、
ご飯があまり進まなかったちょーさんのパパスです。

今日、
本屋の育児コーナーで立ち読みをしていて、
「とくべつなことはしないぞ」
と、思ったんです。

育児本のコーナーには、
「天才の育て方」とか、
「0歳からの教育法」とか、
いわゆる英才教育をやろうよという本が結構あります。

最近ちょーさんに感情表現が見てとれるようになって、
パパスもちょーさんが素直な子になったらいいなあと、
ぼんやりと思っています。

かといって、
ある確立された体系にしたがって、
ちょーさんと接したくはないなと、
そうも考えています。

もうすこし噛み砕いていうと、
こうなって欲しい子どもの将来像があって、
そのためにはこういう「子どもとの接し方ガイド」のような
全体像の見える体系があるのだから、
現段階ではフローチャートのなかのどこにいて、
今はこれをやらなくちゃね、
というようなことを考えて子育てをするのは違うなあと思うのです。

もちろん、
ぼくらより前の世代の、
親であったひとたちが感じて積み重ねてきた、
子育てに関する「知恵」は、
パパスもおもいきり有効活用させてもらっています。

でも、
親と子という、
「人間と人間が接し合う」という領域を、
自分の家庭とはちがう場所でつくられた、
「枠組」に、
はめこみたくないのです。

「こういうことは子どもにいわないほうがいい」とか、
「いいパパであるためにはこうしよう」とか、
「親がかわれば子も変わる」といったような、
「親がかわること」をすすめる本が
よく本屋の目立つところにおいてありますが、

そういう種類の本が決まっていう
「○歳までに、子どもの性格はきまってしまう!」
という言葉がほんとならば、
親の人間的な部分を変えるなんて、
ムリな話だよ、
とはいえないでしょうか。

子どもは親をみて育つのなら、
親のほうは、
多少どこかに人間的にまずいところがあっても、
ふらふらしないで、
生きてきたそのままでいる、
という姿勢でいることのほうが大事なんじゃないかなと
そんな気がします。

実際、
25歳のパパスは、
なにか新しいことを勉強したり、
いままでにはないモノを買って生活にとりいれたりする程度の変化はあっても、
「性格」や「人間性」をかえることなんて、
到底できそうもないし、
やろうとしても疲れるだけでおわってしまいそうです。

自分という人間性にもとづかないで、
人に感化されていった言葉なんて、
子どものこころには響かないでしょうし。

自分をかえようと四苦八苦するよりは、
しょうがないけれどもこういう人間ですよと、
「親がかわらないでいること」で、
かわりようのない「人間」をみせてやったほうが、
子どもも安心して育つということは言えると思うのです。

決して、特定の種類の本を非難したいわけではありません。

ただ、親として、
子育てをするうえでの「知恵」をあつかう本と、
こうしないと子どもが人間的に問題がでますよという
「啓蒙」をあつかう本とは、
たとえその論拠が実践的な実験にもとづくものであっても、
ちょっと意識して区別しないとまずいよな、
と考えています。

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