4コマ漫画エッセイ
ぐっとこらえるということを、
すこしずつ覚えはじめているちょーさん。
がまんしないで済むのなら、
われわれ生き物にとってそれが一番うれしいのでしょうけれど、
動物も、人間も、
何かをがまんして生きていくものです。
そして人間は、
「がまんしている」ということが自分でわかるから、
そのことでしんどくなるということもあります。
ちょーさんにはまだ、
そんな自意識はないでしょうから、
なにかをがまんして泣きそうになっても、
ちょっと時間がたてばケロッとしていますが、
いつか自分で自分のがまんがわかるようになったとき、
こうすればいいんだということを、
どう言ってやれるでしょうか。
人間はがまんしなければならない。
なんてことをひとつの訓戒として言う、
そんな根拠も経験も、
わたくしは持ち合わせていませんが、
それはどうなのか分からないとしても、
がまんしなければならないことがあっても、
すぐに忘れられるようなポジティブさ、
いい意味での、盲目さ、
そんな気持ちがあったほうが楽しいんじゃないか。
それは納得して、
言ってやれる気がします。
なにをもってそんな気持ちを生み出すのか、
それはよくわかりませんが、
たぶん、
自分のほんとうに近くにあるもの、
自分を見ていてくれる存在、
自分が大切にしたいと思うこと・もの・ひと。
それらが「ある」という意味を感じれば、
なんとなくうまくやっていけると、
ちょーさん、
パパスはそう思っています。
そして、
「がまんしなさい!」というフレーズは、
わたくしもママスさんによく言われるけれど、
わたくしもたぶん、
ちょーさんに言うことがあるでしょう。
言わないときもあるし、
言うときもある。
どちらにしてもちょーさん、
がまんの先にあるものが何か。
それを決めるのは、
自分がほんとうに大切にしているもの。
たぶん、
きっとそうです。
(2013.11.27 UP)
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