4コマ漫画エッセイ
ほんとうに、
何の前触れもなく、
突然「ほらねー!」と叫ぶ最近のちょーさん。
とっても上から目線で、
それ見たことか、思い知れというような、
そんな態度に溢れた表情から察するに、
どうやら誰かに、
とっても上から目線で、
それ見たことか、思い知れというような、
そんな態度で言われたことに悶々としていたのでしょうか。
でもちょーさん!
「ほらね」は単独で使うものではないのですよー!
相手の言動に、
普段からちょっとした不満のようなものを抱いていたり、
それについていさめていたりした上で、
ふたをあけてみればこちらの言うとおりになった、
そんな細々した脈絡があってこその、
「ほらね」なのです。
「ねーねー、ほらねー!!」
では、ないのです。
たぶんね。
ともあれ、
相手に屈服させられるようなできごとについて、
不快感を感じ、
よーし、ならば自分だってというような精神は、
ものごとの背景を考えずにそこだけ切り取ってみるなら、
ちょーさんにも、
反骨心のような、
くっそー、やってやるぞ!というような、
あつくたぎるものが、
生まれてきているのかもしれません。
ストレスがたまりやすいのかもしれない現代で、
その心意気は大切なことであり、
同時にさらなる軋轢を生みかねないことでもあり、
いや、
やはり人間をはじめたばかりのちょーさんにとっては、
歓迎すべき心情なのかもしれません。
願わくば、
「ほらね」と言われて、
「ほらね」で返すのではなく、
じゃあぼくはこうする、
こっちの方法でチャレンジしてみる、
そんなユーモアと創造性を持ったひとになったら、
モテると思いますよ。
とりあえず、
パパスを抑圧のはけ口として「ほらね」という時の、
全然真剣じゃないその表情は触れないことにして、
ちょーさんもいっちょまえに、
プライドのような自意識が芽生えてきたのかもしれません。
でもちょーさん、
反骨心を燃やすのもいいけれど、
今ママスさんに言われる「ほらね」には、
ちょーさんを屈服させるとか抑えつけてやろうとか、
そんな思いはのせられていないのですよ。
「ほらね」には、
愛情とか、
相手のことが好きだとか、
そんな優しいきもちが入っていることもあるのです。
腹の立つ「ほらね」や、
うれしい「ほらね」や、
いろんな「ほらね」を嗅ぎ分けるようになったら、
つめたい言葉だけの世界に、
温度を感じられるようになったら、
ちょーさんはもっとかっこいいぞー!!
(2013.10.04 UP)
この記事へのコメント