4コマ漫画エッセイ
思い出を振り返るのは、
いつも簡単であるとは限らない。
うれしいそれなら、うれしくよみがえり、
悲しくつらいそれなら、思うのも悲しくつらいだろう。
だが仮に、
それがくさいそれであるならば・・・
くっさーっい!!
のか!?
というわけで、
その時はもう時間の問題であると目されていましたが、
茶色の住人たちとの奮闘の日々は、
ついにもう、
「日常」ではなくなっているようです。
なぜならば、
マルちの彼が自ら拭いて流して出てくることや、
それを予見して出すタイミングを調整すること、
そんな枝葉を挙げてももちろんそうなのですが、
何をさしおいても、
あえて見ようとでもしない限りは住人たちを見ることがないこと、
そして、
目の前の住人から放たれるニオイが、
鼻腔を刺激することが無くなっていること、
それらが最も説得力を持つ事実として、
現在のわが家にあるからなのであります。
さようなら、茶色の住人。
さようなら、茶色いかおり。
思い返せば、
彼らとの初めての出会いは、
マルちの彼がこの世に生まれて数日後のことでした。
わたくし自らの住人はもちろん抜きにして、
それまでわたくしの生活の中で、
茶色の住人といえば道端にころがっていて、
踏んだらかなり落ち込むけれど、
気をつけていればそれほど近しい存在にはなり得ないものでした。
そこにきて、
いきなり目の前に現れた住人たち。
しかも毎日のように、触れねばならないという現実。
目の前にするとこれほどまでにくさいのかという驚きと、
我が子のものであるからそんなに言うべきではないという自戒が、
頭の中で葛藤を繰り返していたのを覚えています。
その後の彼らの暴挙との戦いの日々はここでは割愛しますが、
思い返せば、くさい。
くさい。
くさい。
くさい。
くさい。
さ、く、くさい!
さ、さ、いやくさい!
さ・・・くっさい!!
さ、さ、くさーい!
さ、さ、さ・・・
さびしい!
くささびしい!!
今の正直なきもちは、
そういうほかにありません。
とっても、
くささびしい。
いえ、もちろん、
いくら茶色い彼らとの日々とは言えども、
これまでさよならを告げたマルちの彼との日々と同様、
過ぎ去ってみれば名残惜しいものになるんじゃないかと、
頭の片隅では感じていましたとも。
でも、これほどまでとは!
くさいという感覚と、
さびしいという感情。
さびしさがくささに寄り添っているのです。
くささがさびしさを受け入れているのです。
それは、
信じがたいけれども、
実際にわたくしの中で起こっている事実なのです。
くさい、
さびしい、
くささびしい!
それは善悪を超越した、
どちらでもない、
ただ本当のこと。
・・・。
はっ!
わたくしは何を書いていたのでしょう。。
ちょーさんが、
お下の処理関係において自立したこと、
それをお伝えしたかっただけなのに。。
あたたかい茶色のイメージが、
脳内をそっとつつみこんでいる。。。
もうやめましょう!
とにかく、
一時か永遠か、
それは神のみぞ知るということにして、
このふしぎな別れに、
ロング・グッド・バイ!
(2014.06.18 UP)
この記事へのコメント
ちょーさん、すごーい!
うちの娘もぼちぼちがんばってますけど、おしめとパンツをいったり来たりです。4月から幼稚園に通いはじめて格段に進歩しましたね。パンツをはいているときは、お出かけ先でもトイレって教えてくれて、そこまで我慢も出来るようになってきたかな。ウッチーは最近トイレで出来るようになったけど、まだ一人では拭けないし、おしめに履き替えてする方が多いですね。
親としては、お店の中のトイレの場所とコンビニの場所の把握が必須ですかね(笑)
娘さんもがんばってますね~!
これは自慢ですが、ちょーさんは自分でウッチーを拭いて仮に手に着いたとしても手を洗って出てきます。ふっふっふ!
まあ、高確率で水を流すレバーが一部茶色くなってはいますけど…。
トイレの場所把握は重要ですよね~ちょーさんも、いつもトイレにつくまで顔を真っ赤にしてガマンしてくれていますw