4コマ漫画エッセイ

com-511

自分のお皿とか、
自分のタオルとか、
「自分のものである」ことが確約されることに、
大きな喜びを示す近ごろのちょーさんなので、
保育所のカバンをもらったときも、
「ちょーさんのカバン!わいわーい!!」
と言って、
とっても嬉しそうにしていたのであります。

しかしながら、
新しい保育所へ行く3日目の朝を迎えて、
そのカバンを持ってお出かけするということが、
いかなる結末を迎えるかということに、
早くも気が付いてしまったちょーさん。

今のちょーさんにとって、
青むらさきの真新しいカバンは、
見知らぬ場所へ連れ出される負のシンボルになっています。

まだ小さいのに保育所へやることについては、
もう散々、悶々としたのでもうどうのこうの書きませんが、
それはやはり親の勝手な言い分というもので、
ありがたいことにこんなはげでひげでも好いてくれるちょーさんにとり、
慣れない場所で過ごすより、
家で男どうし戯れている方がいいようです。

はじめて保育所に通わせたときは、
まだ幼くて、置いて行かれることにすら気づいていなかったちょーさん。
でも、今はもう違います。
悲しいこともうれしいことも、
ちゃんとわかって、ちゃんと感じて、
ちゃんと満たされて、ちゃんと傷つくようになったのです。
だから余計に、
慣れるまでの日々は、
ほんとうに勝手ですが、
親としてもつらいものがあります。

やっぱり、
もう少しどうのこうの書かせてもらうならば、
かわいい子には旅をさせよ とか、
かわいい子は打って育てろ とか、
こういう類いの格言は、
ある程度大きくなった子供への、
子育てする親の性を満たすものとして捉えていたわたくしですが、
これらの言葉は、
ほんとうはもっと始めの時期の親の気持ちを、
しかもその結果こどもがどうなるかは考えないで、
どうしようもないこのはがゆさを、
なぐさめる言葉にもなりうるんじゃないかと思っています。

まだ小さいからこそ、肌身はなさず見ていてやりたいとも思うし、
まだ小さいからこそ、いろんな世界を見て欲しい。
まだ小さいんだから、なんでそばで見ていてやらないんだ、
まだ小さいのに、それでお前は親になったといえるのか。

どれも間違っていないし、
どれも正しくないんだと、
そう納得するほかありません。

思いきり自己擁護にしかなりませんが、
今の目の前の、
自分と自分の家族の状況を、
自分で応援しなければ、ほかにどうしましょう。

やりたくてもできないこと、
やりたくなくてもやらねばならぬこと、
それらと付き合っていくことは、
人の生きる道そのものなのかもしれません。

なんだか支離滅裂で重い話になってしまいましたが、
行きたくもない保育所からの帰り道、
保育所で遊んだ話を楽しそうにしてくれるちょーさんのことばに、
洪水のように心が満たされていくあたり、
救われる気持ちでいっぱいです。

今ちょーさんが感じている悲しみは、
時が経てばすんなりなくなって、
また前のように笑顔で通うようになるのでしょう。
青むらさきのカバンが、
ちょーさんにとってうれしいパートナーになる日は、
もしかしたら来週、いや明日なのかもしれません。
だから、
一喜一憂するほどのことではないのかもしれませんが、
朝バイバイするときのちょーさんの悲しそうな顔を見ると、
もう直球でグサリと来るのです。

親バカというよりは、親煩悩。
つむじはげというよりは、つむじ煩悩。
わたくし、煩悩のかたまり。



(2013.04.05 UP)

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この記事へのコメント

“vol.511 シンボル・オブ・ホイクショ (生後944日目)” への2件のフィードバック

  1. イチゴ より:

    こんばん

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